いなっちまーち

かしこまな日々

島巡りとかいう絵に描いたような悪習

ぼくは先日ポケモンムーンをクリアしました。
今作のシナリオは、ポケモンの20周年を飾る作品に相応しい挑戦的なテーマ性と物語に、感銘を受けました。
なので、サンムーンの物語のどんなところが面白かったかをちょっと考察しながら書こうと思います。

 

・島巡りとかいう絵に描いたような悪習

今作には歴代シリーズのお約束であったポケモンジムは登場しません。

ジムの役割はアローラ地方の風習である"島巡り"が果たし、キャプテンという人物が従来のジムリーダーにあたります。

アローラ地方の明るく自由な文化が感じられる楽しい楽しい島巡りですが、シナリオを追うごとに負の一面を目の当たりにする事になります。

 

ならずもの集団・スカル団を束ねるグズマという男が、島巡りの理不尽さを最もよく体現しています。

グズマには過去に島巡りをした経験があります。相当な実力の持ち主でしたが、「キャプテンになれなかった」といいます。

キャプテンになる必要条件は、護り神のポケモンにZリングを与えられる事。彼がキャプテンになれなかった理由として、強過ぎたから、実力が認められなかったからなど、ゲーム内で語られますが、どんな要因があったにしろ、結局護り神に認められなかったためにキャプテンになれなかった事が分かります。

 

護り神はとても気まぐれな性格といいます。これもシナリオの各所で語られます。
神殿に現れるかどうかも気まぐれ。Zリングを与えるのも気まぐれ。しまキング・クイーンの任命も気まぐれ。所詮は野生の生き物というわけです。

つまりいくら努力しようと護り神のポケモンに気に入られなければそこで終わり。これが最も島巡りという悪習を悪習たらしめる点です。
言うまでもないですが文明というものは神や自然の気まぐれに依存していればしているほど古臭いといえます。

そういう訳でグズマはやさぐれて、田舎くせえ島巡り文化を忌み嫌い、島巡りの妨害をするスカル団のボスを務めているんですね。

 

スカル団はしたっぱも含め、島巡りを諦めた者や護り神の怒りを買った者たちの集団です。
彼らが序盤でキャプテンのイリマや現地住人に、目の前に居るのにも関わらず居ないもの扱いされることから、アローラ地方での島巡りに失敗した者への扱いの悪さもうかがえます。そんなん護り神が悪いやろ。

ついでにキャプテンには10代の内にしかなれません。大人は諦めろって事です

 

といったように、今作は主人公を取り巻く環境がゴミ溜めみたいに粗悪なわけです。プレイヤーの中にはアローラの風習に嫌気がさした方が多くいると思います。しかし、プレイ後にシナリオへの不快感は残らず、楽しかったと言う方がほとんどです。

いかにしてこれらの設定を使って面白いストーリーを描き上げる事ができたのか。そこにサンムーンが名作といえるワケがある?その真相に迫りましょう。

 

 

 

ここで、サンムーンの物語の比較対象として、失敗作として悪名高いエピソードデルタを取り上げようと思います

 

・エピソードデルタ

ORASの殿堂入り後シナリオです。その中心人物・ヒガナと脚本そのものへの批判は多く、ORAS最大の汚点という認識が多いようです。

そんなエピソードデルタがなぜここで挙げられるのかといいますと、エピソードデルタとサンムーンのシナリオの背景には

 

主人公の周囲(エピデルではヒガナ、サンムーンでは島巡り文化そのもの)にプレイヤーが疑問に感じる部分がある
⇢勧善懲悪の物語ではなく、主人公の周囲の者もそれと敵対する者もあくまで一つの正義でしかない

 

という共通点が見られるからです
サンムーンはシナリオ全体がマイルドなエピソードデルタのような特徴を帯びていると言えると思います
これらの同様な背景を持った2つのシナリオ。どこで差がついたのかを考えます。

まずエピソードデルタの欠点を一部挙げると

 

①ヒガナの畳み掛けるような台詞によってダイゴ達の主張は頭ごなしに否定される

これは下記の②③がなければまだ問題ないのですが…

 

②主人公に選択権がなく、どうしてもヒガナを支持するような形になる

 

③ヒガナが自分の非を認める描写がなく、相応の制裁も受けないまま姿を消す

 

これらの要因によって、まるでヒガナが正義の味方、といった勧善懲悪の物語のような描かれ方をされていて、非常にアンバランスな脚本です。
よってヒガナの行動や理論に疑問を感じたプレイヤーの不満はシナリオ内で浄化されず、アンチスレを建てるほかないのでしょうね

 

エピソードデルタではヒガナ側・ダイゴ側の双方にそれなりの言い分も非もあるので、描き方次第では幾らでも面白いシナリオになるも思うのですが
用意された設定と、描かれ方との間に生まれた齟齬。正しく描かれさえすればヒガナの性格も良いスパイスになったかもしれないのですが…

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ヒガナは嫌いじゃないですが、シナリオの不十分さからバッシングを招かれた可哀想なキャラクターです

 

そうなってしまった原因や他の不満点を探ってもいいのですがこれではエピデル批判の記事になってしまうのでここらで切り上げます

ちなみにこれらの欠点が解消された"顧客が本当に求めていたエピソードデルタ"は、クラブサンデーで連載していたポケスペのORAS編で見られます。とても良いよ!

 

サンムーンはいかにしてプレイヤーの島巡りへの疑問と不満を浄化して、おもしろいストーリーにできたのか。これを分析したいと思います
番号はなんとなく上記のエピデルの欠点と対比できるようにしてます

 

 

①スカル団が撃ち破るべき絶対悪として描かれていない

思い返してみると、主人公達はスカル団の野望を食い止めようとか、ぶっ潰そうといった意志を持ってグズマ(やスカル団団員)と立ち向かった事がありませんね。

 

三度目の戦いではルザミーネの元を訪れようした所に立ち塞がります。

確かにこの場ではグズマは退けるべき敵だったかもしれませんが、今作立ち向かうべき悪として登場していたのはエーテル財団。

島巡りの闇とは何ら関係のない、神経毒にやられた狂人ルザミーネさんです。

彼女の味方としてのグズマを打ちのめす事が島巡りを肯定する事にはなり得ないので今回の観点からはノーカンです

 

また、グズマは初登場時にククイ博士に島巡りは古臭いと説きました。

ところがククイ博士はスカル団の存在を否定せず、グズマの発言に対抗して島巡りを肯定するような反論さえもしません。

主人公サイドの登場人物を介して、スカル団(=島巡りの犠牲者)の存在を肯定してるんですね。

 

あと、クチナシのおっさん。ポータウンで闇を垣間見た前後に登場します。

警察でありながらもスカル団を淘汰しようとしない姿勢。

「大試練って奴、やっからよ」「俺は穏やかに暮らしたいんだがな」といった台詞からも、態々行動にはしないものの島巡りの風習に何か思う所があるんだなと匂わせます。惹かれたね。

 

このようにスカル団の存在・思想を否定しないところが、①ヒガナの畳み掛けるような台詞によってダイゴ達の主張は頭ごなしに否定される との対比になっています。

 

②主人公が常時無表情

いや、本当は特に意味はないと思いますけど。

 

この感情を表に出さないところが、①に加えて必ずしも主人公がスカル団に敵対する意志を持っていないと強調する役割を果たしていると思います。

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↑悪に立ち向かう顔(ORAS)

 

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↑常に無表情。その瞳の奥で何を思うのか(SM)

 

ポケモンの主人公に台詞がないのは元々、プレイヤーの自己投影を可能にする為です。
続編が出るたびに物語が複雑化して、主人公の行動は縛られてきたものですが、ここにきて再度、プレイヤー(=主人公)のものの感じ方や冒険の自由を、主人公が表情を出さないという少し新しい形でプレイヤーに委ねているのかもしれないね。

 

今作のストーリーは主人公いる意味なかったよね?と評価されがちです。

実際、今回の主人公はリーリエ達以外に何の味方に付くでもなく、世界を救ったみたいな大きな手柄もありません。

ポケモンを集めながら、ときどき友達を助けながら自由に冒険を楽しんできた一人の少年って感じがありますね。

そういう面では、初代ポケモンのコンセプトである、"虫捕り少年の一夏の冒険"を強調しているのかも。

 

その途中で出会った島巡りのいざこざに関しては、主人公さんはどう感じても良いわけです。
今回は台詞がないからこその自由さがよく生きていると思います。
主人公がカントー出身だという設定も、もし主人公が島巡り文化のあり方に疑問を抱いても不自然じゃないのを助長してくれてるんじゃないかと思いますよ!

 

このような実質的な主人公の自由さが、②主人公に選択権がなく、どうしてもヒガナを支持するような形になる との対比になります。

 

③主人公に親しい人物も島巡りの風習に問題意識を持っており、策を打ち出す

主人公に道を示した人物・ククイ博士も今の島巡りを全肯定する事はしませんでした。

ポケモンリーグを建てて、世界に通じるチャンピオンを生み出すこと。それが彼が出した答えです。

 

グズマの島巡りを否定し破壊するという行為も一つの答えだとすれば、折れる事なくより良い道を拓こうとしたククイ博士は相当の人格者だなあと思います。

ククイ博士はポケモン博士になるべくしてなった男と言うべきか、島巡りをしていた頃から探究心が旺盛だったようで、よりベストな技を求めて敢えてキャプテンにならなかった。

 その後の事でしょう、彼にはカントー地方でジムバッジを集めてリーグに挑んだ経験があります。

自分の足で外の世界を巡ってきたからこそ、アローラ地方の風習をより世界に通じるものにするためにはと考える事ができる人物です。カントーっ子の主人公と同じ観点を持つことができるのです。

 

完成したポケモンリーグにて主人公がチャンピオンとなる事で、
主人公がククイの手を借りながらも、アローラ地方のこれからのあるべき形を体現したと言う事もできます。

 

このように、ククイ博士も島巡りの負の部分を認め、答えを出している点で、③ヒガナが自分の非を認める描写がなく、相応の制裁も受けないまま姿を消す との対比になります。

 

こうしてサンムーンは、旅とは何か、ジムとは、リーグとは何か、どうあるべきかというこれまでに主人公の周りにお約束のように在った環境そのものを俯瞰して考えさせられる、非常におもしろいテーマ性を秘めたシナリオになっているんだなあと思います。

島巡りに様々な形で向き合う大人達を登場させる。どれが正しいと断定しない事で、プレイヤーはどの立場に寄り添う事もできる。

ある意味ではエピソードデルタのリベンジとも捉える事ができます。これが本当に描きたかった脚本なんだ!と。

 

上記のような上手なシナリオの描き方もあって、賛否両論出るであろう島巡りの存在をシナリオの持つ重要なテーマ性の一部にさえ昇華させる事ができています。

コア層から見ても20周年作品として文句なしの作品なんじゃないかなー。

 


でも、ぼくは早くアローラ地方を出たいです。

 

次はシンオウ地方に行きたいなあ。

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